勢より後れてゐたことだけは明である。先霊名録に「知遊童女、隆升軒末女安佐、安永八年己亥十一月」として十日の条に載せてある。安永八年には幾勢は九歳、蘭軒は三歳であつた。末女とあるから幾勢より穉《をさな》かつたことは知られるが、蘭軒と孰《いづれ》か長孰か幼なるを知ることが出来ない。
曾能の臨終には、定て三十六歳の幾勢が黒田家に暇を請うて来り侍してゐたであらう。これに反して三十歳の蘭軒は三百里外にあつて、母の死を夢にだに知らずにゐた。
その五十二
文化四年の元旦は蘭軒が長崎の寓居で迎へた。此官舎は立山の邸内にあつて、井の水が長崎水品の第一と称せられてゐたと云ふことが、徳見※[#「言+仞のつくり」、第3水準1−91−93]堂《とくみじんだう》を接待した時の詩の註に見えてゐる。
此年の最初の出来事にして月日を明にすべきものは明倫堂の釈奠《さくてん》である。明倫堂と云ふ学校は金沢、名古屋、小諸、高鍋《たかなべ》等にもあるが、長崎にも此名の学校があつた。山口、倉敷の学校は同じく明倫と名けたが、堂と云はずして館と云つた。わたくしは※[#「くさかんむり/姦」、7巻−103−下−12]
前へ
次へ
全1133ページ中168ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
森 鴎外 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング