斎《かんさい》詩集に於て明倫堂の名を見て、萩野由之《はぎのよしゆき》さんに質《たゞ》し、始て諸国に同名の黌舎《くわうしや》があつたことを知つた。
長崎の明倫堂は素《もと》立山にあつたが、正徳元年中島|鋳銭座址《ちうせんざし》に移された。当時祭酒を向井元仲と云つて、此年に堂宇を重修《ちようしう》することになつてゐた。
蘭軒は恰も好し春の釈奠の日に会して、向井祭酒を見、又高松南陵の講書を聴いた。
蘭軒の釈奠の詩は二首あつて、丙寅の冬「聞雪」の作と、丁卯の春徳見※[#「言+仞のつくり」、第3水準1−91−93]堂に訪はれた作との間に介《はさ》まつてゐる。そこでわたくしはこれを春の釈奠と定めた。釈奠は春二月と秋八月とに行ふもので、上丁《しやうてい》の日に於てする。萩野さんに質すに、朝廷の例が上丁であるゆゑ、武家はこれを避けて中丁とした。しかし往々上丁を以てしたこともあるさうである。わたくしは姑《しばら》く長崎明倫堂の丁卯春の釈奠は中丁を以てしたものと定める。
さて暦を繰つて見れば、文化四年二月の丁日は五日、十五日、二十五日であつた。中丁は即ち二月十五日である。
蘭軒は二月十五日に明倫
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