によりて中門回廊諸堂末社の廃絶を継興す。(信恬《のぶさだ》按ずるに兵火のために炎失せしは天正八年に当れり。)飛梅社前の右にあり。博多|画瓢坊《ぐわへうばう》の説に、明応七年|兵燹《へいせん》にかかりて枯しを社僧祠官等歌よみて奉りたれば再び栄生せりといへり。其後天正の兵燹にも焚《やけ》しこと幽斎紀行に見ゆ。左に一株の松あり。みな柵を以て囲む。池は心の字の形なり。雁《がん》鴨《かも》※[#「さんずい+鷄」、第4水準2−94−45]※[#「勅+鳥」、7巻−95−下−7]《けいせき》群集し鯉鮒游泳して人の足声を聞て浮み出づ。島ありて雁の巣ありといふ。三橋を架す。社地は古の安楽寺の地なり。延寿王院(神宮寺といふ)に入りて菅公真蹟を拝観す。双竪幅《さうじゆふく》。「離家三四年。落涙百千行。万事皆如夢。得々仰彼蒼。」〔此詩は杜子美《としび》の詩にして、誤て文草に入れたる論林羅山文集に見えたり。此等は公の古人の詩をかかせ給へるを見て、後人しらずして編集せしなり。賈至《かし》の詩を山谷《さんこく》集に入れし類ならんか。〕毎幅二行字三四寸大にして遵勁瀟灑《いうけいせうしや》たる行書なり。又|小楷普門品《せ
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