男が出て来て、前夜と同じ問を発した。然るに柏軒の言動は初に変らなかつた。
 三たび目の夜には男は出て来なかつた。是は来掛かる人に彼問を試みて、怖るべき面貌を見せたのであるが、柏軒は近視で其面貌を見なかつた。男は獺《かはをそ》の怪であつたと云ふのである。渋江保さんは此話を母五百に聞き、後又兄矢島|優善《やすよし》にも聞いたさうである。
 柏軒は絶て辺幅を修めなかつた。渋江保さんの云ふを聞くに、柏軒は母五百を訪ふ時、跳躍して玄関より上り、案内を乞ふことなしに奥に通つた。幼《いとけな》き保の廊下に遊嬉《いうき》するを見る毎に、戯に其臂を執つてこれを噬《か》む勢をなした。保は遠く柏軒の来るを望んで逃げ躱《かく》れたさうである。
 柏軒は酒色を慎まなかつた。毎に門人に戯れて、「己も少《わか》い時は無頼漢であつた」と云つたのである。又門人平川良栄は柏軒の言《こと》として竊《ひそか》に人に語つて云ふに、「先生はいつか興に乗じて、己の一番好なものは女、次は酒、次は談《はなし》、次は飯だと仰つたことがある」と云つた。好色の誚《そしり》は榛柏の兄弟皆免れなかつたが、二人は其挙措に於て大に趣を殊にしてゐた。榛軒は酒肆妓館に入つて豪遊した。しかし家庭に居つては謹厳自ら持してゐた。これに反して柏軒は家にあつて痛飲豪語した。少かつた頃には時に仕女に私したことさへあつた。是は曾能子刀自の語つた所である。
 柏軒は家人を呼ぶに、好んで洋人の所謂ノン、ド、カレツスを以てした。息《むすこ》鉄三郎を鉄砲と云ひ、女《むすめ》安《やす》を「やちやんこ」と云ひ、琴を「おこちやん」と云つた類である。是は柏軒の直情径行礼法に拘らざる処より来てゐる。此|癖《へき》は延《ひ》いて其子徳安に及び、徳安は矢島優善の妻鉄を呼んで「おてちやん」と云つた。これに反して渋江抽斎の如きは常に其子を呼ぶに、明に専六と云ひ、お陸と云つた。女《むすめ》棠《たう》に至つては、稍呼び難きが故に、特に棠嬢と称した。
 柏軒は江戸市中の祭礼を観ることを喜んだ。是は渋江抽斎と同嗜であつた。松田氏はかう云つてゐる。「柏軒先生や抽斎先生の祭礼好には、わたくし共青年は驚いた。柏軒先生の家が中橋にあつた頃は、最も山王祭を看るに宜しく、又狩谷翁の家は明神祭を看るに宜しかつた。山車《だし》の出る日には、両先生は前夜より泊り込んでゐて、斥候《ものみ》を派して報
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