あり。はなはだ温ならず。しかれども硫黄《りうわう》の気強して性熱なり。一口のむときは忽《たちまち》瀉利《しやり》す。松本城下に浅間の湯といふあり。綿の湯と同じ。疝を治す。山辺の湯といふあり。疝癪の腹痛によし。至てぬるしといふ。〕下の諏訪秋宮に詣り、田間の狭路をすぐ。青稲《せいたう》脚を掩ひ鬱茂せり。石川《せきせん》あり。急流|※[#「王+爭」、第4水準2−80−78]々《さう/\》として湖《こ》に通ず。諏訪湖水面漾々たり。塩尻峠を越え、三里塩尻駅。堺屋彦兵衛の家に投宿す。下条《げでう》兄弟迎飲す。(兄名|成玉《せいぎよく》、字叔琢《あざなはしゆくたく》、号寿仙《じゆせんとがうす》、弟名|世簡《せいかん》、字|季父《きふ》、号春泰《しゆんたいとがうす》、松本侯臣、兄弟共泉豊洲門人なり。)家居頗富。書楼薬庫山池泉石尤具す。薬方両三を伝。歓話夜半に及てかへる。此日暑甚。行程八里半|許《きよ》。」細辛はアサルムの数種に通ずる名だから、此文はかもあふひの双葉細辛を斥してゐるのであらう。杜衡はかんあふひか。うつぼぐさは※[#「さんずい+除」、第3水準1−86−94]州《ぢよしう》夏枯草か。
詩。「和田嶺。一渓渓尽復巌阿。路自白雲深処過。薬艸如春花幾種。黄萱最是満山多。諏訪湖。琉璃鏡面漾新晴。粉※[#「土へん+楪のつくり」、第4水準2−4−94]浮沈高島城。遙樹如薺波欲浸。低田接渚緑方平。漁船数点分烟影。駅馬一行争晩程。繚繞湖辺千万嶺。芙蓉雪色独崢※[#「山+榮」、第3水準1−47−92]。宿塩尻駅下条兄弟迎飲。嘗結茗渓社。今来塩里廬。山泉宜煮薬。岩洞可蔵書。爽籟涼生処。旧遊談熟初。暑氛与客恨。酔倒一時虚。」
第八日。「廿六日卯時に発す。一里三十丁、洗馬駅。三十丁本山駅なり。此駅前月火災ありて荒穢《くわうくわい》なり。これより木曾路にかかる。此辺に喬木おほし。ゆく先も同じ。崖路を経堺橋をすぎて二里熱川駅。一里半奈良井駅。午後鳥居峠にいたる。御嶽山近く見ゆ。白雪|巓《いたゞき》を覆ふ。轎夫《けうふ》いふ。御嶽山上に塩ありと。所謂《いはゆる》崖塩なるべし。一里半藪原駅。二里宮越駅。若松屋善兵衛の家に宿《やどる》。此日暑甚し。三更のとき雨降。眠中しらず。行程九里|許《きよ》。」
その三十三
第九日は文化三年五月二十七日である。「廿七日卯時に発す。朝霧《てうむ》深し。
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