武尊《やまとたけのみこと》あづまを望れし事あり。此所ならん。又山を紆※[#「榮」の「木」に代えて「糸」、第3水準1−90−16]《うえい》して上る。大仁王の社《やしろ》にいたる。喬木数株あり。一坂こゆれば熊野社なり。社庭に正応五年の鐘あり。社前に石車輪《せきしやりん》一隻を造れり。径《わたり》一尺五六寸なり。往年此|村長《むらのをさ》社前の石階を造りてなれり。名を後世にのこさんことを欲してこのものを造りおけり。乃《すなはち》其家の紋なりと社主かたる。門前に上野信濃国界の碑あり。半里下山して軽沢の駅にいたる。蕎麦店に入りて喫するに其清奇いふべからず。しかれども豆漿《とうしやう》渋苦惜むべし。一里五丁沓掛駅。浅間岳を間近く望む。此とき巓に雲|掩翳《えんえい》して烟見えず。一里三丁追分駅。一里十丁小田井駅。一里七丁岩村田なり。駒形明神に詣《いた》る。駒形石全く鈴杜烏石《れいとうせき》の類なり。一里半塩灘駅。大黒屋義左衛門の家に宿す。主人少く学を好む。頃《このごろ》佐藤一斎の※[#「にんべん+至」、7巻−61−下−1]《てつ》佐藤|梅坡《ばいは》といふもの此に来て教授す。天民大窪酔客も亦来遊すといふ。此日天赫々なれども、山間の駅ゆゑ瘴気冷然たり。行程八里|許《きよ》。」碓氷峠の天産植物に言及してゐるのは、蘭軒の本色である。北五味子は南五味子のびなんかづらと区別する称である。砂参は鐘草とあるが、今はつりがねにんじんと云ふ。桔梗科である。つりがねさうは次の升麻と同じく毛※[#「くさかんむり/艮」、第4水準2−86−12]《まうこん》科に属して、くさぼたんとも云ふ。劉寄奴は今菊科のはんごんさうに当てられ、おとぎりさうは金糸桃科の小連翹に当てられてゐる。蘭軒は前者を斥してゐるのであらう。
詩が二首ある。「碓氷嶺。碓氷危険復幽深。五月山嵐寒透襟。蘿掛額般途九折。雲生脚底谷千尋。顧看来路人如豆。仰望前巓樹似簪。欲訪赤松応不遠。群羊化石石成林。望浅間岳。信陽第一浅間山。劣与芙蓉伯仲間。岳勢肥豊不危険。焔烟日日上天※[#「門<環のつくり」、7巻−61−下−16]。」
第六日。「廿四日卯時に発し、朝霧《てうむ》はれんとするとき、筑摩川の橋を渡る。此より浅間岳を望む。烟の升《のぼ》る焔々たり。此川|大《おほい》なれども水至て浅し。礫砂至て多し。万葉新続古今雪玉集みなさゞれ石をよみたり。古来
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