内景が一剖観の窮め尽すべきでないことを思はなかつたのである。又外科の屍《しかばね》に就いて錬習すべきをも思はなかつたのである。
しかし榛軒の解剖を悪《にく》む情には尊敬すべきものがある。「夫刑は罪の大小に従て夫々に処せらるるなり。既に其刑に処せらるれば、屍は無罪同然なり。夫故非人に被命、屍を暴露せぬ様にせさせたまふならはしなり。其屍体を再割解して※[#「くさかんむり/韲」、第4水準2−87−23]粉の如くなせば、是刑を重ぬる道理にて、仁人君子の為ざる所なり。其の為に忍びざることを(なし、)魚鳥を屠候同様之心得にて、嬉々談笑、公然と人天を憚らざる所行(あるが故に、)其不仁の悪習自然と平日の所行にも推移り染著す」云々。屠者には忍人が多い。解剖家外科医の此弊に陥らざることを得るのは、別に修養する所があつて、始て能く然るのである。要するに医の解剖するは已むことを得ざるに出づる。榛軒の説の如きは、藹然《あいぜん》たる仁人の言《こと》である。決して目するに固陋を以てすべきではない。
榛軒の蘭医薬方の酷烈を非難し、又種痘を非難したことは、下《しも》に抄する如くである。
その三百一
榛軒は蘭医方の三弊事を挙げた。其一は解剖で、榛軒が解剖重んずるに足らずとなし、屡《しば/\》解剖することを要せずとなしたのは過つてゐる。しかしその解剖を悪《にく》む情には尊敬すべき所がある。
其二は蘭医方の酷烈を非難するのであつた。榛軒は蘭方医「天に逆ふる猛烈酷毒之薬を用」ゐると云つた。其意「天命は実に人工の得て奪ふべからざる理」にして、「越人能く死人を生すにあらず、此れ自ら生くべき者、越人能これを起たしむ」、独り蘭方医は敢て天に逆《さか》はむとすと云ふにあつた。然らばその天と云ひ、天命と云ふは、何を以て知るか。「脈理を以て予め死を知り、天命の及ばざるを知」ると云ふのであつた。
しかし洋医方の診断学も亦心臓機能を等間視してはゐない。洋薬の漢薬に比して強烈なのは、彼は製煉物を用ゐ、此は天産物を用ゐる差にあつて、強烈なれば其量を微にする。榛軒の非難は洋医方を知らざるに坐するものであつた。
其三は種痘を非難するのであつた。榛軒は痘瘡《とうさう》を以て先天の「胎毒」が天行の「時気」に感触して発するものとなした。胎毒とは性欲の結果である。胎毒は外発すべきものである。しかしその外発は時を得
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