わが供なるものに、はきものの用意やあると問ふ。かゝるさわがしき中を逃げまどひ来ぬれば、心づかざりきと云ふ。さらばとてそこら捜しつつ、いたう古りたる、むづかしげなる福草履とかいふめる物捜し得て穿かす。」
「われは辛うして虫などのはふがごと行くに、常は平《たひらか》なる方も、壁崩れて土など高うなりて歩み苦し。しばしありて囲に来ぬ。せうとの君、娘など共にゐたり。かゝるあやしき中を逃れ来たまひしことのめでたさよなど云ふ。されど老たる人々の、待てど/\来給はねば、心おちゐで、などかくは遅き、心もとなきことかなと繰返し/\云へば、さおもひ給はば迎へに人遣らばやとて、人など呼ぶ程に、二人の老人《おいびと》娘と共に恙もあらで到り着きぬれば、怜《うれ》しさ譬へむに物なかりき。」

     その二百九十

「わづかに畳三|枚《ひら》ばかり鋪ける、ささやかなる所に、九人押し合ひてゐたり。あかしさへ置きたれば、いよゝ狭《せば》きに、をさなきものねむたしとて、並みゐる正中《たゞなか》に足踏み伸して臥す。その思ふ事なげに心地よげに見ゆるを、人々羨むもをかし。」
「せうとの君、かかる折は酒飲みて心たしかにせでやはと、手うち叩き人呼びて、酒もてこと云ふ。従者《ずさ》の怪しげにさうぞきたるが、大坂漬といふ香の物のなま/\しきを添へて、酒一壺もて来ぬ。せうとの君、これなくてはと飲みて、丸山の姉君にまゐらす。姉君、こよなう怜《うれ》し、さきよりこれ欲しうおもひたるにとて、心地よげに飲み給ひ、常はえまゐらぬまだしき大根《おほね》まゐるもをかし。かれいひを結びたるをももて来ぬれば、童《わらは》らおのが頭《かしら》よりもおほきやかなるを取りて、顔もかくれぬばかりにして食ふ。こもまたをかし。」
「かくてある程に、小石川の火燃えひろごりぬれば、こゝまで焼て来もやせむとて、人々立ちさわぎ罵る。われそを聞くに胸つぶれ、わが住む中橋あたりはいかに、今は灰にやなりぬらむと、人々に問へど、こゝの危ければ、誰も往きて見ず、いかになりしか知らむやうなしと云ふ。心もとなさ言はむかたなし。」
「せめては目の及ばむ程のさま見ばやとて、後手《うしろて》のあかり障子《さうじ》あくれば、吉原下谷本所あたりの火一つらになりて、黒き烟のうちに焔立ちのぼるさま、地獄の絵見る心地す。あはれ、いつの程にか此火は消えなむと心もとなし。立ちつゐつ幾度
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