《いくたび》となく障子あけて見るに、かなた薄くなりもてゆくと見れば、こなた又濃くなりて、さらに消ぬべき気色もなし。」
「後には頭《かしら》もいたく、何となう心地悪しければ、しばし休まむとするに、いと狭《せば》き所に人多くゐれば、足踏みのばさむやうもなし。壁に倚りゐて傍《かたはら》を見れば、森の祖母君《おほばぎみ》宵よりのいたつきにや疲れ給ひけむ、かかる騒がしき中にして、ゐながらに眠りて、物も知らでぞおはする。うらやましの祖母君や。」
柏軒の妻狩谷氏俊の記は此に終る。わたくしは上《かみ》に「首尾略全きもの」と云つた。しかし此記の如きも、俊は猶書き続がむとして果さなかつたものであらう。前に引いた所の嘉永癸丑に向島に遊んだ記もこれに似て、真の終結に至らずして筆を閣《さしお》いたものである。次年丙辰に富岡《とみがをか》に遊んだ記も亦さうである。これに反して小説二篇は完璧である。其一は貧家の妻が夫の恋を遂げしめむがために金を儲へ、終に夫を吉原|大店《おほみせ》のお職に逢はせたと云ふ物語である。是は当時のサンチマンタリスムに影響せられた作に過ぎない。布置に意を用ゐて、夫の死後に未亡人が遺物を持つてお職の許を訪ふさまが写されてゐる。しかし特色には乏しい。其二は某《それ》の大名屋敷の奥女中の部屋の怪異を記したものである。是は自叙体で、習作めいた叙法が用ゐてある。そして全くモラルが無い。反面より言へば、モオパツサンがトルストイに指※[#「てへん+適」、第4水準2−13−57]せられたやうな疵病《しびやう》がある。是がとかくモラルの石に躓き易い近人の快《こゝろよ》く此作を読過することを得る所以である。
その二百九十一
わたくしは上《かみ》に柏軒の妻狩谷氏俊が、安政乙卯の地震の時、中橋の家より湯島なる兄|懐之《くわいし》の家へ避難した記を抄し、因《ちなみ》に俊が遺文数種の事を言つた。
此地震には又既に記した榛軒門人渡辺|昌盈《しやうえい》が死んだ。渡辺は陸奥国弘前の城主津軽越中守|順承《ゆきつぐ》に仕へて表医師となり、三十人扶持を受けてゐた。此日津軽家隠居附たるを以て柳島の下屋敷に直《ちよく》してゐて遭難したのである。隠居は出羽守|信順《のぶゆき》である。渡辺は弘前人の江戸にあつて此地震に死した三人中の一人であつたと云ふ。他の二人は本所|三目《みつめ》の上屋敷にゐた井
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