詳にしなかつたのである。
 わたくしは後に徳《めぐむ》さんに聞いた所を以て此に補記しようとおもふ。しかしその応《まさ》に補ふべき所のものは、啻《たゞ》に安石の上のみではない。わたくしは先づ榛軒の妻志保の経歴を補つて、而る後に安石に及ばなくてはならない。
 飯田氏志保の未だ榛軒に嫁せざるに当つて、曾て一たび藝妓たりしことは前記に見えてゐる。しかし此記には漏挂《ろうくわい》の憾があつた。志保は妓を罷めた後、榛軒に嫁した前に、既に一たび従良したことがある。
 志保の初の夫を綿貫権左衛門と云つた。綿貫は長門国萩藩の留守居であつた。志保は一子を挙げた後、故あつて綿貫と別れた。そして其子を練馬村内田久右衛門の家へ里子に遣つた。
 数年の後、志保は此子をして母方の飯田氏を冒さしめた。此子が即飯田安石である。
 安石は十二歳にして榛軒の門に入つた。是故に安石は名は門人であつたが、実は志保の連子であつた。榛軒が臨終に物を貽つた所以である。
 今按ずるに、安石の生年文政七年より推せば、志保は文政六年の頃綿貫が許にゐて、七年に安石を生み、中二年を隔てて、十年に榛軒に嫁したのであらう。安石入門の年は、其|齢《よはひ》が十二であつたと云ふより考ふるに、天保六年、即|柏《かえ》の生れた年であつたらしい。
 わたくしは曾能子刀自の安石に関して語る所を聞いた。其事は猥瑣《わいさ》にして言ふに足らぬが、幕末の風俗を察する一端ともなるべきが故に、姑《しばら》く下《しも》に録存する。榛※[#「木+苦」、8巻−151−下−16]《しんこ》翦《き》るなきの誚《そしり》は甘んじ受くる所である。

     その二百七十七

 榛軒の妻志保の連子たり、榛軒の門人たる飯田安石の逸事にして、曾能子刀自の記憶する所のものはかうである。
 森枳園は毎年友人及弟子を率《ゐ》て江戸の近郊へ採薬に往つた。大抵其方向は王子附近で、王子の茶を買つて帰り、又帰途に白山の砂場で蕎麦を喫するを例とした。渋江保さんなども同行したことがある。
 某年に飯田安石が此|夥《くわ》に加はつた。安石は朝急いで塾を出る時、偶《たま/\》脇差が見えなかつた。
 其頃伊沢の家には屡茶番の催があつた。狩谷|懐之《くわいし》の茶番に用ゐた木刀は、※[#「髟/休」、第3水準1−94−26]※[#「革+室」、8巻−152−上−12]《きうしつ》金環、実に装飾の
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