を以て白蓮花《はくれんげ》を造らせて贈つたさうである。海老蔵は七代目、三升は八代目団十郎である。然るに文淵堂所蔵の花天月地《くわてんげつち》を閲《けみ》するに、榛軒の病死前後の書牘三通がある。其一は榛軒の病中に父子連署して榛軒の妻志保に寄せたもので、「御見舞のしるし迄に」菓子を贈ると云つてある。末に「霜月九日、白猿拝、三升拝、井沢御新造様」と書してある。其二は八代目一人が※[#「貝+冒」、8巻−125−上−2]《ばう》を送る文で、「此品いかが敷候へども御霊前へ奉呈上度如斯御座候」と云ひ、末に「廿二日、団栗《どんぐり》、伊沢様」と書してある。其三は又父子連署して造花を贈る文で、榛軒を葬つた日を徴するに足るものかと推せられるから、此に全文を録する。「舌代。蒙御免書中を以伺上仕候。向寒之砌に御座候得共、益御機嫌宜敷御住居|被為在《あらせられ》、大慶至極奉存候。扨旦那様御病中不奉御伺うち、御養生不相叶御死去被遊候との御事承り驚入候。野子《やし》ども朝暮之歎き難尽罷在候。別而尊君様御方々御愁傷之程如何計歟御察し奉申上候。随而甚恐入候得共|御※[#「鹿/(鹿+鹿)」、第3水準1−94−76]末《おそまつ》なる造花御霊前様へ御備被下置候はゞ、親子共本望之至に御座候。只|御悔之印《おんくやみのしるし》迄に奉献之度《これをけんじたてまつりたく》如此に御座候以上。霜月廿二日。市川白猿。市川三升。伊沢様御新造さま。」八代目の一人で※[#「貝+冒」、8巻−125−上−16]を送つたのと同日である。しかし造花が二十二日に送られたとすると、此二十二日が即葬の日ではないかとおもはれるのである。
 二十三日に榛軒が生前にあつらへて置いた小刀の拵が出来て来た。鞘の蒔絵が蓮花、縁頭鍔共《ふちかしらつばとも》蓮葉《れんえふ》の一本指であつた。榛軒は早晩致仕して、貴顕の交を断ち、此小刀を佩び、小若党一人を具して貧人の病を問はうと云つてゐたさうである。是は曾能子刀自の語る所である。

     その二百六十三

 此年嘉永壬子の十二月十三日は蘭軒の姉、榛軒柏軒の伯母《はくぼ》正宗院の一週年忌であつた。伊沢氏は尚榛軒の喪に居つたから、親戚と極て親しかつた人々とが集つて法要を営んだに過ぎなかつたであらう。「あらがねの土あたたかし冬籠、七十五歳|陶後《たうご》」と書した懐紙が徳《めぐむ》さんの蔵儲中にある。
 此
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