すことを欲せざる所以である。

     その二百五十三

 わたくしは弘化丁未の榛軒の旅を叙して、湘陽紀行六月二十五日の条に至つた。榛軒は此日鎌倉雪下に投宿したのであつた。
「廿六日、晴、風《かぜあり》、午時|微過雨《びにくわうあり》。(中略)江島に到り、橘屋武兵衛酒店にて午餐を辨じ(中略)藤沢の宿に到る。」
「廿七日、晴。駅の出口にて立夫《りつふ》に別る。(中略。)小田原入口にて午餐す。(中略。)夕方宮下奈良屋に投宿す。」枳園は別れて僑居に帰つたのであらう。寿蔵碑に拠れば津久井県であらうか。函嶺の第一日である。
「廿八日、晴。塩《しほ》柏《かえ》を伴ひ、隆白吉蔵をしたがへ、木賀松坂屋寿平治寓宿の於久《おひさ》の病を診し、(中略、)一宿す。(中略。)隆白二僕は宮下に留守す。」榛軒は宮下に行李を置いて、木賀の病家を訪ひ、松坂屋に舎《やど》つた。函嶺の第二日である。
「廿九日、晴。午後木賀より帰る。」宮下に復《かへ》つたのである。函嶺の第三日である。
「晦日《つごもり》、晴。暑甚。隆白を伴ひ、底倉|堂島《だうがしま》等遊行す。」函嶺の第四日である。
「七月|朔日《ついたち》、晴。(中略。)蘆湯に行く。」函嶺の第五日である。
「二日、雨。(中略。)木賀|古島久婦《こたうきうふ》の病を訪ふ。宿主松坂屋寿平治より蕎麦|麪条《さうめん》を贈。」「宿主」と云ふより推すに、再び木賀に舎つたのであらう。「古島久婦」の四字は解し難い。前の「松坂屋寿平治寓宿の於久」と同じ人なることは明である。揣摩《しま》して言へば、画師|村片相覧《むらかたあうみ》は古島と号した。其妻を久と云つた。久が病んで函嶺に来り浴してゐた。木賀の松坂屋は其旅寓である。しかし此推測の当れりや否やは、わたくしの能く保《はう》する限でない。函嶺の第六日である。
「三日、雨。(中略。)終日|聴雨《あめをきく》、無聊頼《れうらいなし》。」木賀に留まつてゐたものか。函嶺の第七日である。
「四日、晴。山花《さんくわ》(山あぢさゐ)を折り、渓水にて茶を煮(霜の花)、墨形落雁(古※[#「山+壽」、第4水準2−8−71]所贈《こたうのおくるところ》)、並に香華燈燭を以て※[#「木+夜」、第3水準1−85−76]翁を祭る。夕方盃を酌む。日野両老人、浦安二女、主人平治等也。」上《かみ》の両括弧は自註である。「霜の花」は茶の銘であらう。「
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