、風涼最多。(中略。)鈴森《すゞがもり》にて少息す。炎熱|可※[#「火+共」、第3水準1−87−42]《あぶるべし》。六郷を渡り、(中略、)生麦にて鮓を食し酒を飲む。家は左側(なり。)加奈川宿奈古屋に投宿す。妓四人来終夜喧噪す。婢徳の妓と同枕(せむこと)を抽斎に強ふる事(あり、)絶倒す。」括弧内の文字は読み易からしめむがために、わたくしが加へた。「中橋」は柏軒の家である。佐美津は鮫津である。曾能子刀自の言《こと》に従へば、奈古屋に舎《やど》つた此夜、妓を畏れて遁れ避けたものは、渋江抽斎、山田|椿町《ちんてい》、須川隆白の三人であつた。此中須川は年|甫《はじめ》て二十であつたから、羞恥のために独臥したのであらう。抽斎と椿庭とは平生謹厳を以て門人等に憚られてゐたのださうである。
「廿五日、陰晴|相半《あひなかばす》。(中略。)柏軒、二陶、天宇《てんう》と別る。」弟柏軒、石川二陶、天宇の三人は送つて此に至り、始て別れ去つたのである。天宇は渋江保さんの言《こと》に拠るに、抽斎の別号ださうである。「程谷駅中より左に折れ、金沢道にかかる。肩輿二を倩ひ、三里半の山路屈曲高低を経歴す。左右|瞿麦《なでしこ》百合の二花紅白粧点す。能見堂眺望不待言。樹陰涼爽可愛。立夫《りつふ》の教にて、町屋村入口にて初て柳を見る。相州中人家柳を栽るを忌む。自《おのづから》土地に少しと云ふ。」立夫は枳園の字《あざな》である。阿部家を逐はれて、当時尚相模国に住んでゐた。推するに微行して江戸に入り、榛軒の案内者として此に来てゐるのであらう。「瀬戸橋畔|東屋《あづまや》酒楼にて飲す。(中略。)楼上風涼如水。微雨|偶《たま/\》来り、風光|頓《とんに》変り、水墨の画のごとし。隆白小柴の伯父を訪ふ。待つ間に一睡す。隆白帰。雨亦晴。又出て日荷《につか》上人を拝し、朝比奈切通の上にて憩ひ、崖間の清泉を掬し飲む。此辺|野葛《のくず》多し。枝柄《えから》天神祠前を過ぐ。日欲暮、疲倦甚しく、(往いて詣ること能はざるが故に)遙拝す。雪下大沢専助旅店に投宿す。終夜|濤声《たうせいあり》。不得眠。」一行は既に鎌倉に入つたのである。枝柄天神は荏柄天神に作るべきである。前日の記中よりわたくしの省略したのは、遠近種々の地まで送つて来た人名等であつたが、此日の記に至つては、駕籠賃がある。又酒店東屋の献立が頗る細かに書いてある。悉く写し出
前へ 次へ
全567ページ中388ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
森 鴎外 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング