んむり/閑」、7巻−42−下−9]当作※[#「くさかんむり/間」、7巻−42−下−10]」と云つてある。※[#「くさかんむり/姦」、7巻−42−下−10]※[#「くさかんむり/間」、7巻−42−下−10]※[#「くさかんむり/閑」、7巻−42−下−10]三字の考証は池田四郎次郎さんを煩はした。都梁は荊州記に「都梁県有山、山下有水清※[#「さんずい+此」、第4水準2−78−36]、其中多蘭草、名都梁香」とある。蘭軒の蘭字の事は後に別に記することとしよう。笑僊は笑癖あるがために自ら調したものであらう。藐姑射山人は荘子から出てゐること論を待たない。
 居る所を酌源堂と云ひ、三養堂と云ひ、芳桜《はうあう》書院と云ふ。
 酌源は班固《はんこ》の典引《てんいん》の「斟酌道徳之淵源、肴覈仁義之林藪」から出てゐる。三養は蘇軾《そしき》の「安分以養福、寛胃以養気、省費以養財」から出てゐる。芳桜書院の芳桜の事は後に別に記することとしよう。
 通称は辞安である。
 名字の説は此に止まる。已に云つた如くに、わたくしの富士川游さんに借りてゐる※[#「くさかんむり/姦」、7巻−43−上−8]斎詩集に、先づ見えてゐる干支は、此年享和紀元の辛酉である。わたくしは此詩暦を得て大いに心強さを覚える。わたくしは此より此詩暦を栞《しをり》とし路傍|※[#「土へん+侯」、第4水準2−5−1]《こう》として、ゆくての道をたどらうとおもふ。

     その二十二

 蘭軒は此年享和元年の元日に七律を作つた。※[#「くさかんむり/姦」、7巻−43−上−14]斎詩集の「辛酉元日口号」が是である。首句に分家伊沢の当時の居所が入つてゐるのが、先づわたくしの注意を惹く。「昌平橋北本江郷」と云つてある。本江《ほんごう》の郷《きやう》と訓《よ》ませる積であつたのだらう。
 次に蘭軒生涯の大厄たる脚疾が、早く此頃に萌してゐたらしい。詩集は前に云つた元日の作の後に、文化元年の作に至るまでの間、春季の詩六篇を載せてゐるのみである。わたくしは姑《しばら》く此詩中に云ふ所を此年の下《もと》に繋《か》ける。蘭軒は二月の頃に「野遊」に出た。「数試春衣二月天」の句がある。此野遊の題の下に、七絶二、七律一、五律一が録存してあつて、数試春衣《しば/\しゆんいをこゝろみる》二|月天《ぐわつのてん》は七律の起句である。然るにこれに次ぐに「頓忘病脚
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