記」「森氏」の二朱印がある。森氏は枳園《きゑん》である。毎半葉十行、行二十二字である。
集に批圏と欄外評とがある。欄外評は初|頁《けつ》より二十七頁に至るまで、享和元年より後二年にして家を嗣いだ阿部侯|椶軒正精《そうけんまさきよ》の朱書である。間《まゝ》菅茶山の評のあるものは、茶字を署して別つてある。二十八頁以下の欄外には往々「伊沢信重書」、「渋江全善書」、「森立夫書」等補写者の名が墨書してある。評語には「茶山曰」と書してある。
その二十一
わたくしは此に少しく蘭軒の名字《めいじ》に就いて插記することとする。それは引く所の詩集に※[#「くさかんむり/姦」、7巻−41−下−4]《かん》の僻字《へきじ》が題してあるために、わたくしは既に剞※[#「厥+りっとう」、第4水準2−3−30]氏《きけつし》を煩し、又読者を驚したからである。
蘭軒は初め名は力信《りよくしん》字《あざな》は君悌《くんてい》、後名は信恬《しんてん》字は憺甫《たんほ》と云つた。信恬は「のぶさだ」と訓《よ》ませたのである。後の名字は素問上古天真論の「恬憺虚無、真気従之、精神内守、病従安来」より出でてゐる。椶軒《そうけん》阿部侯正精の此十六字を書した幅が分家伊沢に伝はつてゐる。
憺甫の憺は心に従ふ。しかし又澹父にも作つたらしい。森田思軒の引いた菅茶山の柬牘《かんどく》には水《すゐ》に従ふ澹が書してあつたさうである。現にわたくしの饗庭篁村《あへばくわうそん》さんに借りてゐる茶山の柬牘にも、同じく澹に作つてある。啻《たゞ》に柬牘のみでは無い。わたくしの検した所を以てすれば、黄葉夕陽村舎詩に蘭軒に言及した処が凡そ十箇所あつて、其中澹父と書したものが四箇所、憺父と書したものが一箇所、蘭軒と書したものが二箇所、都梁と書したものが二箇所、辞安と書したものが一箇所ある。要するに澹父と書したものが最多い。坂本|箕山《きざん》さんが其藝備偉人伝の下巻《かくわん》に引いてゐる「尾道贈伊沢澹父」の詩題は其一である。此書の下巻は未刊行のものださうで、頃日《このごろ》箕山さんは蘭軒の伝を稿本中より抄出してわたくしに寄示《きし》してくれたのである。
別号は蘭軒を除く外、※[#「くさかんむり/間」、7巻−42−上−11]斎《かんさい》と云ひ、都梁と云ひ、笑僊《せうせん》と云ひ、又|藐姑射《はこや》山人と云つた。※
前へ
次へ
全567ページ中30ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
森 鴎外 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング