をすぐ。此地市街城をめぐり二十余町人家みな瓦屋《ぐわをく》にして商賈多く万器乏しき事なし。人喧都下の郭外に似たり。五里西宮駅。上田屋平兵衛の家に宿す。時いまだ未《ひつじ》ならず。西宮に到りて拝神《かみをはいす》。世人|蛭児尊《ひるこのみこと》を称すれども祭神中央は天照太神宮にして左素盞嗚尊、右蛭児尊なり。拾玉集慈鎮の歌にて只蛭児を称するのみ。下馬碑あり。関東みな牌なり。此碑となす亦奇也。宝多山六湛寺を尋ぬ。康永中虎関禅師の開基なり。古鐘あり。銘曰。「摂津国西成郡舳淵荘盛福寺鐘文永十一年甲戌四月九日鋳。」いづれの頃此寺に移ししか寺僧に問ども不知。あまり大鐘にあらず。径《わたり》一尺八寸七分|許《きよ》厚二寸許緑衣生ぜり。此日寺中書画を曝す日にて蔵画を見たり。大横幅著色寿老人一|掛《くわい》寺僧|兆殿司《てうでんす》の画《ゑがく》ところなりといへども新様にして疑ふべし。しかれども図式は頗奇異なり。全《まつたく》摸写のものならん。名識印章並になし。竪幅《じゆふく》二掛一対墨画十六羅漢明兆画とありて印なし。飛動気韻ありて且古香|可掬《きくすべし》。殿司の真迹疑べからず。駅長の家烏山侯霞崖の書せる安穏二字を榜《ばう》す。此日暑甚し。行程五里許。」
 詩。「已発浪華将就山陽道到十※[#「隻+隻」、7巻−74−下−15]村作。其一。朝嵐欲霽半蒼茫。村市人声未散場。菜畝千※[#「勝」の「力」に代えて「土」、7巻−74−下−16]青似海。桔槹数十賽帆檣。其二。六月凌霄花政開。暑炎如燬起塵埃。行程未半西遊道。已是離郷廿日来。」
 第廿二日。「十一日卯時に発す。駅を離れて郊路なり。菟原《うはら》住吉祠に詣り海辺の田圃を経《ふ》る。村中醸家おほし。木筧《もくけん》曲直《きよくちよく》して水を引こと遠きよりす。一望の中武庫摩耶の諸山近し。生田祠に詣《いた》る。此日祠堂落成|遷神《せんしん》す。社前の小流生田川と名く。(古今六帖に出。)荷花盛に開く。門を出桜の馬場の半より左曲す。坂本村田圃を過。楠公碑を拝し湊川をすぐ。水なし。五里兵庫駅。六軒屋定兵衛の家に休す。日|正《まさに》午《ご》なり。尻池村をすぎ平知章墓《たひらのともあきらのはか》監物頼賢墓《けんもつよりかたのはか》平通盛墓を看る。苅藻《かるも》川の小流を経て東須磨に到る。いなば薬師に詣り西須磨をすぐ。西須磨の家毎軒竹簾を垂る。平家内裏
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