平はまだ江戸にいるうちに、二十八で藩主の侍読にせられた。そして翌年藩主が帰国せられるとき、供をして帰った。
 今年の正月から清武村|字《あざ》中野に藩の学問所が立つことになって、工事の最中である。それが落成すると、六十一になる父|滄洲翁《そうしゅうおう》と、去年江戸から藩主の供をして帰った、二十九になる仲平さんとが、父子ともに講壇に立つはずである。そのとき滄洲翁が息子によめを取ろうと言い出した。しかしこれは決して容易な問題ではない。
 江戸がえり、昌平黌じこみと聞いて、「仲平さんはえらくなりなさるだろう」と評判する郷里の人たちも、痘痕《あばた》があって、片目で、背の低い男ぶりを見ては、「仲平さんは不男《ぶおとこ》だ」と蔭言《かげこと》を言わずにはおかぬからである。

 滄洲翁は江戸までも修業に出た苦労人である。倅《せがれ》仲平が学問修行も一通り出来て、来年は三十になろうという年になったので、ぜひよめを取ってやりたいとは思うが、その選択のむずかしいことには十分気がついている。
 背こそ仲平ほど低くないが、自分も痘痕があり、片目であった翁は、異性に対する苦い経験を嘗《な》めている。識らぬ少
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