その後仲平は二十六で江戸に出て、古賀※[#「にんべん+同」、第3水準1−14−23]庵《こがとうあん》の門下に籍をおいて、昌平黌《しょうへいこう》に入った。後世の註疏《ちゅうそ》によらずに、ただちに経義を窮《きわ》めようとする仲平がためには、古賀より松崎慊堂《まつざきこうどう》の方が懐かしかったが、昌平黌に入るには林か古賀かの門に入らなくてはならなかったのである。痘痕《あばた》があって、片目で、背の低い田舎書生は、ここでも同窓に馬鹿にせられずには済まなかった。それでも仲平は無頓着に黙り込んで、独り読書に耽《ふけ》っていた。坐右《ざゆう》の柱に半折《はんせつ》に何やら書いて貼《は》ってあるのを、からかいに来た友達が読んでみると、「今は音《ね》を忍《しのぶ》が岡《おか》の時鳥《ほととぎす》いつか雲井のよそに名のらむ」と書いてあった。「や、えらい抱負《ほうふ》じゃぞ」と、友達は笑って去ったが、腹の中ではやや気味悪くも思った。これは十九のとき漢学に全力を傾注するまで、国文をも少しばかり研究した名残《なごり》で、わざと流儀違いの和歌の真似をして、同窓の揶揄《やゆ》に酬《むく》いたのである。
 仲
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