がよくなかったのである。
そのまたつぎの年に、仲平は麻布長坂《あざぶながさか》裏通りに移った。牛込から古家を持って来て建てさせたのである。それへ引き越すとすぐに仲平は松島まで観風旅行をした。浅葱織色木綿《あさぎおりいろもめん》の打裂羽織《ぶっさきばおり》に裁附袴《たっつけばかま》で、腰に銀拵《ぎんごしら》えの大小を挿し、菅笠《すげがさ》をかむり草鞋《わらじ》をはくという支度である。旅から帰ると、三十一になるお佐代さんがはじめて男子を生んだ。のちに「岡の小町」そっくりの美男になって、今文尚書《きんぶんしょうしょ》二十九篇で天下を治めようと言った才子の棟蔵《とうぞう》である。惜しいことには、二十二になった年の夏、暴瀉《ぼうしゃ》で亡くなった。
中一年おいて、仲平夫婦は一時上邸の長屋に入っていて、番町袖振坂《ばんちょうそでふりざか》に転居した。その冬お佐代さんが三十三で二人目の男子謙助を生んだ。しかし乳が少いので、それを雑司谷《ぞうしがや》の名主方《なぬしかた》へ里子にやった。謙介は成長してから父に似た異相の男になったが、後日安東益斎と名のって、東金、千葉の二箇所で医業をして、かたわら漢
前へ
次へ
全27ページ中21ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
森 鴎外 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング