遠慮なような世辞を面白がって、得意の笊棋《ざるご》の相手をさせて帰した。

 お佐代さんが国から出た年、仲平は小川町に移り、翌年また牛込見附《うしごめみつけ》外の家を買った。値段はわずか十両である。八畳の間に床の間と廻《まわ》り縁《えん》とがついていて、ほかに四畳半が一間、二畳が一間、それから板の間が少々ある。仲平は八畳の間に机を据えて、周囲に書物を山のように積んで読んでいる。このころは霊岸島の鹿島屋清兵衛が蔵書を借り出して来るのである。一体仲平は博渉家《はくしょうか》でありながら、蔵書癖《ぞうしょへき》はない。質素で濫費をせぬから、生計に困るようなことはないが、十分に書物を買うだけの金はない。書物は借りて覧《み》て、書き抜いては返してしまう。大阪で篠崎の塾に通ったのも、篠崎に物を学ぶためではなくて、書物を借るためであった。芝の金地院に下宿したのも、書庫をあさるためであった。この年に三女登梅子が急病で死んで、四女歌子が生まれた。
 そのつぎの年に藩主が奏者になられて、仲平に押合方《おしあいかた》という役を命ぜられたが、目が悪いと言ってことわった。薄暗い明りで本ばかり読んでいたので実際目
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