素な仲平は極端な簡易生活をしていた。帰り新参で、昌平黌の塾に入る前には、千駄谷にある藩の下邸《しもやしき》にいて、その後外桜田の上邸にいたり、増上寺境内の金地院《こんじいん》にいたりしたが、いつも自炊である。さていよいよ移住と決心して出てからも、一時は千駄谷にいたが、下邸に火事があってから、はじめて五番町の売居《うりすえ》を二十九枚で買った。
お佐代さんを呼び迎えたのは、五番町から上二番町の借家に引き越していたときである。いわゆる三|計塾《けいじゅく》で、階下に三畳やら四畳半やらの間が二つ三つあって、階上が斑竹山房《はんちくさんぼう》の※[#「匸<扁」、第4水準2−3−48]額《へんがく》を掛けた書斎である。斑竹山房とは江戸へ移住するとき、本国田野村字|仮屋《かりや》の虎斑竹《こはんちく》を根こじにして来たからの名である。仲平は今年四十一、お佐代さんは二十八である。長女須磨子についで、二女美保子、三女|登梅子《とめこ》と、女の子ばかり三人出来たが、かりそめの病のために、美保子が早く亡くなったので、お佐代さんは十一になる須磨子と、五つになる登梅子とを連れて、三計塾にやって来た。
仲平
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