聞《みょうもん》が大切だから、犬死はしない。敵陣に飛び込んで討死《うちじに》をするのは立派ではあるが、軍令にそむいて抜駈《ぬけが》けをして死んでは功にはならない。それが犬死であると同じことで、お許しのないに殉死しては、これも犬死である。たまにそういう人で犬死にならないのは、値遇《ちぐう》を得た君臣の間に黙契があって、お許しはなくてもお許しがあったのと変らぬのである。仏涅槃《ぶつねはん》ののちに起った大乗の教えは、仏《ほとけ》のお許しはなかったが、過現未《かげんみ》を通じて知らぬことのない仏は、そういう教えが出て来るものだと知って懸許《けんきょ》しておいたものだとしてある。お許しがないのに殉死の出来るのは、金口《こんぐ》で説かれると同じように、大乗の教えを説くようなものであろう。
 そんならどうしてお許しを得るかというと、このたび殉死した人々の中の内藤長十郎|元続《もとつぐ》が願った手段などがよい例である。長十郎は平生《へいぜい》忠利の机廻りの用を勤めて、格別のご懇意をこうむったもので、病床を離れずに介抱をしていた。もはや本復は覚束《おぼつか》ないと、忠利が悟ったとき、長十郎に「末期《ま
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