をはじめとして、既西堂《きせいどう》、金両堂《こんりょうどう》、天授庵《てんじゅあん》、聴松院《ちょうしょういん》、不二庵《ふじあん》等の僧侶《そうりょ》が勤行《ごんぎょう》をしていたのである。さて五月六日になったが、まだ殉死する人がぽつぽつある。殉死する本人や親兄弟妻子は言うまでもなく、なんの由縁《ゆかり》もないものでも、京都から来るお針医と江戸から下る御上使との接待の用意なんぞはうわの空でしていて、ただ殉死のことばかり思っている。例年|簷《のき》に葺《ふ》く端午の菖蒲《しょうぶ》も摘《つ》まず、ましてや初幟《はつのぼり》の祝をする子のある家も、その子の生まれたことを忘れたようにして、静まり返っている。
 殉死にはいつどうしてきまったともなく、自然に掟《おきて》が出来ている。どれほど殿様を大切に思えばといって、誰でも勝手に殉死が出来るものではない。泰平《たいへい》の世の江戸参勤のお供、いざ戦争というときの陣中へのお供と同じことで、死天《しで》の山|三途《さんず》の川のお供をするにもぜひ殿様のお許しを得なくてはならない。その許しもないのに死んでは、それは犬死《いぬじに》である。武士は名
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