た。井の底にくぐり入って死んだのは、忠利が愛していた有明《ありあけ》、明石《あかし》という二羽の鷹であった。そのことがわかったとき、人々の間に、「それではお鷹も殉死《じゅんし》したのか」とささやく声が聞えた。それは殿様がお隠れになった当日から一昨日《おとつい》までに殉死した家臣が十余人あって、中にも一昨日は八人一時に切腹し、昨日《きのう》も一人切腹したので、家中誰《かちゅうたれ》一|人《にん》殉死のことを思わずにいるものはなかったからである。二羽の鷹はどういう手ぬかりで鷹匠衆の手を離れたか、どうして目に見えぬ獲物《えもの》を追うように、井戸の中に飛び込んだか知らぬが、それを穿鑿《せんさく》しようなどと思うものは一人もない。鷹は殿様のご寵愛《ちょうあい》なされたもので、それが荼※[#「たへん」に「比」、18−上7]の当日に、しかもお荼※[#「たへん」に「比」、18−上8]所の岫雲院の井戸にはいって死んだというだけの事実を見て、鷹が殉死したのだという判断をするには十分であった。それを疑って別に原因を尋ねようとする余地はなかったのである。

 中陰の四十九日が五月五日に済んだ。これまでは宗玄
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