京のときが次第に近づいて来た。和尚は殿様に逢《あ》って話をするたびに、阿部権兵衛が助命のことを折りがあったら言上しようと思ったが、どうしても折りがない。それはそのはずである。光尚はこう思ったのである。天祐和尚の逗留中に権兵衛のことを沙汰したらきっと助命を請われるに違いない。大寺の和尚の詞《ことば》でみれば、等閑《なおざり》に聞きすてることはなるまい。和尚の立つのを待って処置しようと思ったのである。とうとう和尚は空《むな》しく熊本を立ってしまった。
天祐和尚が熊本を立つや否や、光尚はすぐに阿部権兵衛を井出の口に引き出《い》だして縛首《しばりくび》にさせた。先代の御位牌に対して不敬なことをあえてした、上《かみ》を恐れぬ所行として処置せられたのである。
弥五兵衛以下一同のものは寄り集まって評議した。権兵衛の所行は不埓《ふらち》には違いない。しかし亡父弥一右衛門はとにかく殉死者のうちに数えられている。その相続人たる権兵衛でみれば、死を賜うことは是非《ぜひ》がない。武士らしく切腹仰せつけられれば異存はない。それに何事ぞ、奸盗《かんとう》かなんぞのように、白昼に縛首にせられた。この様子で推す
前へ
次へ
全65ページ中42ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
森 鴎外 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング