れば、一族のものも安穏には差しおかれまい。たとい別に御沙汰がないにしても、縛首にせられたものの一族が、何の面目あって、傍輩に立ち交《まじ》わって御奉公をしよう。この上は是非におよばない。何事があろうとも、兄弟わかれわかれになるなと、弥一右衛門殿の言いおかれたのはこのときのことである。一族|討手《うって》を引き受けて、ともに死ぬるほかはないと、一人の異議を称えるものもなく決した。
 阿部一族は妻子を引きまとめて、権兵衛が山崎の屋敷に立て籠《こも》った。
 おだやかならぬ一族の様子が上《かみ》に聞えた。横目《よこめ》が偵察《ていさつ》に出て来た。山崎の屋敷では門を厳重に鎖《とざ》して静まりかえっていた。市太夫や五太夫の宅は空屋になっていた。
 討手《うって》の手配《てくば》りが定められた。表門は側者頭《そばものがしら》竹内数馬長政《たけのうちかずまながまさ》が指揮役をして、それに小頭《こがしら》添島九兵衛《そえじまくへえ》、同じく野村|庄兵衛《しょうべえ》がしたがっている。数馬は千百五十石で鉄砲組三十|挺《ちょう》の頭《かしら》である。譜第《ふだい》の乙名《おとな》島徳右衛門が供をする。添
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