はいった。
権兵衛が詰衆《つめしゅう》に尋ねられて答えたところはこうである。貴殿らはそれがしを乱心者のように思われるであろうが、全くさようなわけではない。父弥一右衛門は一生|瑕瑾《かきん》のない御奉公をいたしたればこそ、故殿様のお許しを得ずに切腹しても、殉死者の列に加えられ、遺族たるそれがしさえ他人にさきだって御位牌に御焼香いたすことが出来たのである。しかしそれがしは不肖にして父同様の御奉公がなりがたいのを、上《かみ》にもご承知と見えて、知行を割《さ》いて弟どもにおつかわしなされた。それがしは故殿様にも御当主にも亡き父にも一族の者どもにも傍輩《ほうばい》にも面目がない。かように存じているうち、今日御位牌に御焼香いたす場合になり、とっさの間、感慨胸に迫り、いっそのこと武士を棄てようと決心いたした。お場所|柄《がら》を顧みざるお咎《とが》めは甘んじて受ける。乱心などはいたさぬというのである。
権兵衛の答を光尚は聞いて、不快に思った。第一に権兵衛が自分に面当《つらあ》てがましい所行《しょぎょう》をしたのが不快である。つぎに自分が外記の策を納《い》れて、しなくてもよいことをしたのが不快であ
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