ろを問うものはない。一旦《いったん》常に変った処置があると、誰の捌《さば》きかという詮議が起る。当主のお覚えめでたく、お側《そば》去らずに勤めている大目附役に、林外記というものがある。小才覚があるので、若殿様時代のお伽《とぎ》には相応していたが、物の大体を見ることにおいてはおよばぬところがあって、とかく苛察《かさつ》に傾きたがる男であった。阿部弥一右衛門は故殿様のお許しを得ずに死んだのだから、真の殉死者と弥一右衛門との間には境界をつけなくてはならぬと考えた。そこで阿部家の俸禄《ほうろく》分割の策を献じた。光尚も思慮ある大名ではあったが、まだ物馴《ものな》れぬときのことで、弥一右衛門や嫡子権兵衛と懇意でないために、思いやりがなく、自分の手元に使って馴染《なじ》みのある市太夫がために加増になるというところに目をつけて、外記の言を用いたのである。
十八人の侍が殉死したときには、弥一右衛門はお側に奉公していたのに殉死しないと言って、家中のものが卑《いや》しんだ。さてわずかに二三日を隔てて弥一右衛門は立派に切腹したが、事の当否は措《お》いて、一旦受けた侮辱は容易に消えがたく、誰も弥一右衛門を褒
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