があった。中にも殉死の侍十八人の家々は、嫡子にそのまま父のあとを継がせられた。嫡子のある限りは、いかに幼少でもその数には漏《も》れない。未亡人《びぼうじん》、老父母には扶持が与えられる。家屋敷を拝領して、作事までも上《かみ》からしむけられる。先代が格別|入懇《じっこん》にせられた家柄で、死天《しで》の旅のお供にさえ立ったのだから、家中のものが羨《うらや》みはしても妬《ねた》みはしない。
しかるに一種変った跡目《あとめ》の処分を受けたのは、阿部弥一右衛門の遺族である。嫡子権兵衛は父の跡をそのまま継ぐことが出来ずに、弥一右衛門が千五百石の知行は細かに割《さ》いて弟たちへも配分せられた。一族の知行を合わせてみれば、前に変ったことはないが、本家を継いだ権兵衛は、小身ものになったのである。権兵衛の肩幅のせまくなったことは言うまでもない。弟どもも一人一人の知行は殖《ふ》えながら、これまで千石以上の本家によって、大木の陰に立っているように思っていたのが、今は橡栗《どんぐり》の背競《せいくら》べになって、ありがたいようで迷惑な思いをした。
政道は地道《じみち》である限りは、咎《とが》めの帰するとこ
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