「そうじゃ。どうなることか知れぬ。追腹はお許しの出た殉死とは違うなぞという奴《やつ》があろうて」こう言ったのは四男の五太夫である。
「それは目に見えておる。どういう目に逢《お》うても」こう言いさして三男市太夫は権兵衛の顔を見た。「どういう目に逢うても、兄弟離れ離れに相手にならずに、固まって行こうぞ」
「うん」と権兵衛は言ったが、打ち解けた様子もない。権兵衛は弟どもを心にいたわってはいるが、やさしく物をいわれぬ男である。それに何事も一人で考えて、一人でしたがる。相談というものをめったにしない。それで弥五兵衛も市太夫も念を押したのである。
「兄《に》いさま方が揃うておいでなさるから、お父っさんの悪口は、うかと言われますまい」これは前髪の七之丞が口から出た。女のような声ではあったが、それに強い信念が籠《こも》っていたので、一座のものの胸を、暗黒な前途を照らす光明のように照らした。 
「どりゃ。おっ母さんに言うて、女子《おなご》たちに暇乞《いとまご》いをさしょうか」こう言って権兵衛が席を起った。

 従四位下侍従兼肥後守光尚の家督相続が済んだ。家臣にはそれぞれ新知、加増、役替《やくが》えなど
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