右衛門《かえもん》がした。この人々の中にはそれぞれの家の菩提所《ぼだいしょ》に葬られたのもあるが、また高麗門外《こうらいもんがい》の山中にある霊屋《おたまや》のそばに葬られたのもある。
 切米取りの殉死者はわりに多人数であったが、中にも津崎五助の事蹟は、きわだって面白いから別に書くことにする。
 五助は二人扶持六石の切米取りで、忠利の犬牽《いぬひ》きである。いつも鷹狩の供をして野方《のかた》で忠利の気に入っていた。主君にねだるようにして、殉死のお許しは受けたが、家老たちは皆言った。「ほかの方々は高禄《こうろく》を賜わって、栄耀《えよう》をしたのに、そちは殿様のお犬牽きではないか。そちが志は殊勝で、殿様のお許しが出たのは、この上もない誉《ほま》れじゃ。もうそれでよい。どうぞ死ぬることだけは思い止まって、御当主にご奉公してくれい」と言った。
 五助はどうしても聴かずに、五月七日にいつも牽《ひ》いてお供をした犬を連れて、追廻田畑《おいまわしたはた》の高琳寺《こうりんじ》へ出かけた。女房は戸口まで見送りに出て、「お前も男じゃ、お歴々の衆に負けぬようにおしなされい」と言った。
 津崎の家では往生
前へ 次へ
全65ページ中24ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
森 鴎外 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング