しより》らは、もういなくてよいのである。邪魔にもなるのである。自分は彼らを生きながらえさせて、自分にしたと同じ奉公を光尚にさせたいと思うが、その奉公を光尚にするものは、もう幾人も出来ていて、手ぐすね引いて待っているかも知れない。自分の任用したものは、年来それぞれの職分を尽くして来るうちに、人の怨《うら》みをも買っていよう。少くも娼嫉《そねみ》の的になっているには違いない。そうしてみれば、強《し》いて彼らにながらえていろというのは、通達した考えではないかも知れない。殉死を許してやったのは慈悲であったかも知れない。こう思って忠利は多少の慰藉《いしゃ》を得たような心持ちになった。
 殉死を願って許された十八人は寺本八左衛門|直次《なおつぐ》、大塚喜兵衛|種次《たねつぐ》、内藤長十郎|元続《もとつぐ》、太田小十郎正信、原田十次郎|之直《ゆきなお》、宗像《むなかた》加兵衛|景定《かげさだ》、同|吉太夫《きちだゆう》景好《かげよし》、橋谷市蔵|重次《しげつぐ》、井原十三郎|吉正《よしまさ》、田中意徳、本庄喜助|重正《しげまさ》、伊藤太左衛門|方高《まさたか》、右田|因幡統安《いなばむねやす》、野田
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