ことも知っている。これに反してもし自分が殉死を許さずにおいて、彼らが生きながらえていたら、どうであろうか。家中《かちゅう》一同は彼らを死ぬべきときに死なぬものとし、恩知らずとし、卑怯者《ひきょうもの》としてともに歯《よわい》せぬであろう。それだけならば、彼らもあるいは忍んで命を光尚に捧げるときの来るのを待つかも知れない。しかしその恩知らず、その卑怯者をそれと知らずに、先代の主人が使っていたのだと言うものがあったら、それは彼らの忍び得ぬことであろう。彼らはどんなにか口惜しい思いをするであろう。こう思ってみると、忠利は「許す」と言わずにはいられない。そこで病苦にも増したせつない思いをしながら、忠利は「許す」と言ったのである。
 殉死を許した家臣の数が十八人になったとき、五十余年の久しい間治乱のうちに身を処して、人情|世故《せいこ》にあくまで通じていた忠利は病苦の中にも、つくづく自分の死と十八人の侍の死とについて考えた。生《しょう》あるものは必ず滅する。老木の朽ち枯れるそばで、若木は茂り栄えて行く。嫡子《ちゃくし》光尚の周囲にいる少壮者《わかもの》どもから見れば、自分の任用している老成人《と
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