く》はしない。しかしまた空腹で大切なことに取りかかることもない。長十郎は実際ちょっと寝ようと思ったのだが、覚えず気持よく寝過し、午《ひる》になったと聞いたので、食事をしようと言ったのである。これから形《かた》ばかりではあるが、一家《いっけ》四人のものがふだんのように膳《ぜん》に向かって、午の食事をした。
長十郎は心静かに支度をして、関を連れて菩提所《ぼだいしょ》東光院へ腹を切りに往った。
長十郎が忠利の足を戴いて願ったように、平生恩顧を受けていた家臣のうちで、これと前後して思い思いに殉死の願いをして許されたものが、長十郎を加えて十八人あった。いずれも忠利の深く信頼していた侍どもである。だから忠利の心では、この人々を子息|光尚《みつひさ》の保護のために残しておきたいことは山々であった。またこの人々を自分と一しょに死なせるのが残刻《ざんこく》だとは十分感じていた。しかし彼ら一人一人に「許す」という一言を、身を割《さ》くように思いながら与えたのは、勢いやむことを得なかったのである。
自分の親しく使っていた彼らが、命を惜しまぬものであるとは、忠利は信じている。したがって殉死を苦痛とせぬ
前へ
次へ
全65ページ中17ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
森 鴎外 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング