うでござります。あまり遅くなりません方が」よめはこう言って、すぐに起《た》って夫を起しに往った。
夫の居間に来た女房は、さきに枕をさせたときと同じように、またじっと夫の顔を見ていた。死なせに起すのだと思うので、しばらくは詞《ことば》をかけかねていたのである。
熟睡していても、庭からさす昼の明りがまばゆかったと見えて、夫は窓の方を背にして、顔をこっちへ向けている。
「もし、あなた」と女房は呼んだ。
長十郎は目をさまさない。
女房がすり寄って、そびえている肩に手をかけると、長十郎は「あ、ああ」と言って臂《ひじ》を伸ばして、両眼を開いて、むっくり起きた。
「たいそうよくお休みになりました。お袋さまがあまり遅くなりはせぬかとおっしゃりますから、お起し申しました。それに関様がおいでになりました」
「そうか。それでは午《ひる》になったと見える。少しの間だと思ったが、酔ったのと疲れがあったのとで、時の立つのを知らずにいた。その代りひどく気分がようなった。茶漬《ちゃづけ》でも食べて、そろそろ東光院へ往かずばなるまい。お母《か》あさまにも申し上げてくれ」
武士はいざというときには飽食《ほうしょ
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