族の立て籠っている山崎の屋敷に討ち入ろうとして、竹内数馬の手のものは払暁《ふつぎょう》に表門の前に来た。夜通し鉦太鼓《かねたいこ》を鳴らしていた屋敷のうちが、今はひっそりとして空家《あきや》かと思われるほどである。門の扉《とびら》は鎖《とざ》してある。板塀の上に二三尺伸びている夾竹桃《きょうちくとう》の木末《うら》には、蜘《くも》のいがかかっていて、それに夜露が真珠のように光っている。燕《つばめ》が一羽どこからか飛んで来て、つと塀のうちに入った。
 数馬は馬を乗り放って降り立って、しばらく様子を見ていたが、「門をあけい」と言った。足軽が二人塀を乗り越してうちにはいった。門の廻りには敵は一人もいないので、錠前を打ちこわして貫《かん》の木を抜いた。
 隣家の柄本又七郎は数馬の手のものが門をあける物音を聞いて、前夜結び縄を切っておいた竹垣を踏み破って、駈け込んだ。毎日のように往《ゆ》き来《き》して、隅々《すみずみ》まで案内を知っている家である。手槍を構えて台所の口から、つとはいった。座敷の戸を締め切って、籠《こ》み入る討手のものを一人一人討ち取ろうとして控えていた一族の中で、裏口に人のけはいのするのに、まず気のついたのは弥五兵衛である。これも手槍を提げて台所へ見に出た。
 二人は槍の穂先と穂先とが触れ合うほどに相対した。「や、又七郎か」と、弥五兵衛が声をかけた。
「おう。かねての広言がある。おぬしが槍の手並みを見に来た」
「ようわせた。さあ」
 二人は一歩しざって槍を交えた。しばらく戦ったが、槍術は又七郎の方が優れていたので、弥五兵衛の胸板をしたたかにつき抜いた。弥五兵衛は槍をからりと棄てて、座敷の方へ引こうとした。
「卑怯《ひきょう》じゃ。引くな」又七郎が叫んだ。
「いや逃げはせぬ。腹を切るのじゃ」言いすてて座敷にはいった。
 その刹那《せつな》に「おじ様、お相手」と叫んで、前髪の七之丞が電光のごとくに飛んで出て、又七郎の太股《ふともも》をついた。入懇《じっこん》の弥五兵衛に深手を負わせて、覚えず気が弛《ゆる》んでいたので、手錬の又七郎も少年の手にかかったのである。又七郎は槍を棄ててその場に倒れた。
 数馬は門内に入って人数を屋敷の隅々に配った。さて真っ先に玄関に進んでみると、正面の板戸が細目にあけてある。数馬がその戸に手をかけようとすると、島徳右衛門が押し隔てて、詞せ
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