「そうじゃ。どうなることか知れぬ。追腹はお許しの出た殉死とは違うなぞという奴《やつ》があろうて」こう言ったのは四男の五太夫である。
「それは目に見えておる。どういう目に逢《お》うても」こう言いさして三男市太夫は権兵衛の顔を見た。「どういう目に逢うても、兄弟離れ離れに相手にならずに、固まって行こうぞ」
「うん」と権兵衛は言ったが、打ち解けた様子もない。権兵衛は弟どもを心にいたわってはいるが、やさしく物をいわれぬ男である。それに何事も一人で考えて、一人でしたがる。相談というものをめったにしない。それで弥五兵衛も市太夫も念を押したのである。
「兄《に》いさま方が揃うておいでなさるから、お父っさんの悪口は、うかと言われますまい」これは前髪の七之丞が口から出た。女のような声ではあったが、それに強い信念が籠《こも》っていたので、一座のものの胸を、暗黒な前途を照らす光明のように照らした。 
「どりゃ。おっ母さんに言うて、女子《おなご》たちに暇乞《いとまご》いをさしょうか」こう言って権兵衛が席を起った。

 従四位下侍従兼肥後守光尚の家督相続が済んだ。家臣にはそれぞれ新知、加増、役替《やくが》えなどがあった。中にも殉死の侍十八人の家々は、嫡子にそのまま父のあとを継がせられた。嫡子のある限りは、いかに幼少でもその数には漏《も》れない。未亡人《びぼうじん》、老父母には扶持が与えられる。家屋敷を拝領して、作事までも上《かみ》からしむけられる。先代が格別|入懇《じっこん》にせられた家柄で、死天《しで》の旅のお供にさえ立ったのだから、家中のものが羨《うらや》みはしても妬《ねた》みはしない。
 しかるに一種変った跡目《あとめ》の処分を受けたのは、阿部弥一右衛門の遺族である。嫡子権兵衛は父の跡をそのまま継ぐことが出来ずに、弥一右衛門が千五百石の知行は細かに割《さ》いて弟たちへも配分せられた。一族の知行を合わせてみれば、前に変ったことはないが、本家を継いだ権兵衛は、小身ものになったのである。権兵衛の肩幅のせまくなったことは言うまでもない。弟どもも一人一人の知行は殖《ふ》えながら、これまで千石以上の本家によって、大木の陰に立っているように思っていたのが、今は橡栗《どんぐり》の背競《せいくら》べになって、ありがたいようで迷惑な思いをした。
 政道は地道《じみち》である限りは、咎《とが》めの帰するとこ
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