見い。丸で春のやうだ。春のやうだ。」
四
別荘の居心の好い家を、フロルスは朝嬉しげに出て、街道や小径を遠方まで散歩する。老人の世話をしてくれたゴルゴオは物静な、詞少なな、従順な、澹泊な、小牛の様な娘である。日に焼けた肌をなんの面倒もなく、さつぱりと任せる。留守居をする時は、古い小唄を歌つてゐる。
無言のルカスは呼ばれぬに主人の跡を慕つて来て、主人の往く所へどこへでも附いて行く。疲れたやうな、穉《をさな》い顔の悲しげな目に喜を湛へてゐる。突然昔の気軽に帰つた主人に、暫くも目を放さぬやうにして、黙つて静に附いて行くのである。
主人はいつも山の阻道《そばみち》をうろつく。草花の色々に咲いた野に休んで、仰向になつて絶間なく青空を見詰めて、田舎の罪のない唄を歌ふ。そして※[#「やまいだれ+音」、第3水準1−88−52]《をし》の童には笛を吹かせる。白い、目映《まばゆ》い程白い雲が、野の上、川の上に静に漂つて、何物をか待つてゐる。
主人は髭の伸びた、まだ乳汁《ちゝ》の附いてゐる赤い口をしてゴルゴオに接吻する。都の手振は忘れ、葱の香には構はなくなつてゐる。そんな時は無言のルカス
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