と云ってから、間のない時の事であった。丁度新年で、門口に羽根を衝《つ》いていた、花房の妹の藤子が、きゃっと云って奥の間へ飛び込んで来た。花月新誌の新年号を見ていた花房が、なんだと問うと、恐ろしい顔の病人が来たと云う。どんな顔かと問えば、只食い附きそうな顔をしていたから、二目と見ずに逃げて這入ったと云う。そこへ佐藤という、色の白い、髪を長くしている、越後《えちご》生れの書生が来て花房に云った。
「老先生が一寸《ちょっと》お出《いで》下さるようにと仰《おっし》ゃいますが」
「そうか」
と云って、花房は直ぐに書生と一しょに広間に出た。
春慶塗の、楕円形《だえんけい》をしている卓の向うに、翁はにこにこした顔をして、椅子《いす》に倚《よ》り掛かっていたが、花房に「あの病人を御覧」と云って、顔で方角を示した。
寝台《ねだい》の据えてあるあたりの畳の上に、四十《しじゅう》余りのお上《かみ》さんと、二十《はたち》ばかりの青年とが据わっている。藤子が食い付きそうだと云ったのは、この青年の顔であった。
色の蒼白《あおじろ》い、面長《おもなが》な男である。下顎《したあご》を後下方《こうかほう》へ引っ
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