スして、若い花房がどうしても企て及ばないと思ったのは、一種の Coup《クウ》 〔d'oe&il〕《ドヨイユ》 であった。「この病人はもう一日は持たん」と翁が云うと、その病人はきっと二十四時間以内に死ぬる。それが花房にはどう見ても分からなかった。
只これだけなら、少花房が経験の上で老花房に及ばないと云うに過ぎないが、実はそうでは無い。翁の及ぶべからざる処が別に有ったのである。
翁は病人を見ている間は、全幅の精神を以《もっ》て病人を見ている。そしてその病人が軽かろうが重かろうが、鼻風だろうが必死の病だろうが、同じ態度でこれに対している。盆栽を翫《もてあそ》んでいる時もその通りである。茶を啜《すす》っている時もその通りである。
花房学士は何かしたい事|若《もし》くはする筈《はず》の事があって、それをせずに姑《しばら》く病人を見ているという心持である。それだから、同じ病人を見ても、平凡な病だとつまらなく思う。〔Inte'ressant〕《エントレッサン》 の病症でなくては厭《あ》き足らなく思う。又|偶々《たまたま》所謂《いわゆる》興味ある病症を見ても、それを研究して書いて置いて、業績とし
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