クかしい病人があったら、見て貰おう」
 この話をしてから、花房は病人をちょいちょい見るようになったのであった。そして翁の満足を贏《か》ち得ることも折々あった。
 翁の医学は Hufeland《フウフェランド》 の内科を主としたもので、その頃もう古くなって用立たないことが多かった。そこで翁は新しい翻訳書を幾らか見るようにしていた。素《も》とフウフェランドは蘭訳《らんやく》の書を先輩の日本訳の書に引き較べて見たのであるが、新しい蘭書を得ることが容易《たやす》くなかったのと、多くの障碍《しょうがい》を凌《しの》いで横文《おうぶん》の書を読もうとする程の気力がなかったのとの為《た》めに、昔読み馴れた書でない洋書を読むことを、翁は面倒がって、とうとう翻訳書ばかり見るようになったのである。ところが、その翻訳書の数《かず》が多くないのに、善い訳は少ないので、翁の新しい医学の上の智識には頗《すこぶ》る不十分な処がある。
 防腐外科なんぞは、翁は分っている積りでも、実際本当には分からなかった。丁寧に消毒した手を有合《ありあわせ》の手拭《てぬぐい》で拭《ふ》くような事が、いつまでも止まなかった。
 これに
前へ 次へ
全22ページ中5ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
森 鴎外 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング