ます。両側下顎脱臼《りょうそくかがくだっきゅう》です。昨夜《ゆうべ》脱臼したのなら、直ぐに整復が出来る見込です」
「遣《や》って御覧」
花房は佐藤にガアゼを持って来させて、両手の拇指《おやゆび》を厚く巻いて、それを口に挿《さ》し入れて、下顎を左右二箇所で押えたと思うと、後部を下へぐっと押し下げた。手を緩《ゆる》めると、顎は見事に嵌まってしまった。
二十の涎繰《よだれく》りは、今まで腮を押えていた手拭で涙を拭いた。お上さんも袂《たもと》から手拭を出して嬉《うれ》し涙を拭いた。
花房はしたり顔に父の顔を見た。父は相変らず微笑んでいる。
「解剖を知っておるだけの事はあるのう。始てのようではなかった」
親子が喜び勇んで帰った迹《あと》で、翁は語《ことば》を続《つ》いでこう云った。
「下顎の脱臼は昔は落架風と云って、或る大家は整復の秘密を人に見られんように、大風炉敷《おおぶろしき》を病人の頭から被《かぶ》せて置いて、術を施したものだよ。骨の形さえ知っていれば秘密は無い。皿の前の下へ向いて飛び出している処を、背後《うしろ》へ越させるだけの事だ。学問は難有《ありがた》いものじゃのう」
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