たのである。先生はやっと気が附いて杯を受けられた。僕がいくらぼんやりしていても、人の前に出した杯を横から取ろうとはしない。僕は羽織の紋に杯を差すものがあろうとは思い掛けなかったのである。
 僕はこの時忽ち醒覚《せいかく》したような心持がした。譬《たと》えば今まで波の渦巻の中にいたものが、岸の上に飛び上がって、波の騒ぐのを眺めるようなものである。宴会の一座が純客観的に僕の目に映ずる。
 教場でむつかしい顔ばかりしていた某教授が相好《そうごう》を崩して笑っている。僕のすぐ脇の卒業生を掴《つか》まえて、一人の芸者が、「あなた私の名はボオルよ、忘れちゃあ嫌よ」と云っている。お玉とでも云うのであろう。席にいただけのお酌が皆立って、笑談半分に踊っている。誰も見るものはない。杯を投げさせて受け取っているものがある。お酌の間へ飛び込んで踊るものがある。置いてある三味線を踏まれそうになって、慌《あわ》てて退《の》ける芸者がある。さっき僕にけんつくを食わせた芸者はねえさん株と見えて、頻《しき》りに大声を出して駈け廻って世話を焼いている。
 僕の左二三人目に児島がすわっている。彼はぼんやりしている。僕の醒覚
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