も、三角同盟の制裁は依然としていて、児島と僕とは旧阿蒙《きゅうあもう》であった。
 この歳は別に書く程の事もなくて暮れた。

      *

 十七になった。
 この歳にお父様が、世話をする人があって、小菅《こすげ》の監獄署の役人になられた。某省の属官をしておられたが、頭が支《つか》えて進級が出来ない。監獄の役人の方は、官宅のようなものが出来ていて、それに住めば、向島の家から家賃があがる。月給も少し好い。そこで意を決して小菅へ越されたのである。僕は土曜日に小菅へ行って、日曜日の晩に下宿に帰ることになった。
 僕は依然として三角同盟の制裁の下に立っているのである。休日の前日が来て、小菅の内へ帰る度に通新町を通る。吉原の方へ曲る角の南側は石の玉垣のある小さい社で、北側は古道具屋である。この古道具屋はいつも障子が半分締めてある。その障子の片隅に長方形の紙が貼ってあって、看板かきの書くような字で「秋貞」と書いてある。小菅へ行く度に、往《いき》にも反《かえり》にも僕はこの障子の前を通るのを楽にしていた。そしてこの障子の口に娘が立っていると、僕は一週間の間何となく満足している。娘がいないと、僕は
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