様が羨ましがって、あれが清福というものじゃと云うておられた。その頃は百円の月給で清福を得られたのである。
僕はお父様に頼んで貰って、文淵先生の内へ漢文を直して貰いに行くことにした。書生が先生の書斎に案内する。どんな長い物を書いて持って行っても、先生は「どれ」と云って受け取る。朱筆を把《と》る。片端から句読《くとう》を切る。句読を切りながら直して行く。読んでしまうのと直してしまうのと同時である。それでも字眼《じがん》なぞがあると、標《しるし》を附けて行かれるから、照応を打ち壊されることなぞはめったに無い。度々行くうちに、十六七の島田|髷《まげ》が先生のお給仕をしているのに出くわした。帰ってからお母様に、今日は先生の内の一番大きいお嬢さんを見たと話したら、それはお召使だと仰ゃった。お召使というには特別な意味があったのである。
或日先生の机の下から唐本が覗いているのを見ると、金瓶梅《きんぺいばい》であった。僕は馬琴の金瓶梅しか読んだことはないが、唐本の金瓶梅が大いに違っているということを知っていた。そして先生なかなか油断がならないと思った。
*
同じ歳の秋であった。古賀
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