た。
同じ歳の夏休は、やはり去年どおりに、向島の親の家で暮らした。その頃はまだ、書生が暑中に温泉や海浜へ行くということはなかった。親を帰省するのが精々であった。僕のような、判任官の子なんぞは、親の処に帰って遊んでいるより上の愉快を想像することは出来なかったのである。
相変らず尾藤裔一と遊ぶ。裔一の母親はもういない。悪い噂《うわさ》が立ったので、榛野は免職になって国へ帰る。尾藤の母親も国の里方へ返されたのである。
裔一と漢文の作り競《くら》をする。それが困《こう》じて、是非本当の漢文の先生に就いて遣《や》って見たいということになる。
その頃向島に文淵《ぶんえん》先生という方がおられた。二町程の田圃を隔てて隅田川の土手を望む処に宅を構えておられる。二階建の母屋に、庭の池に臨んだ離座敷の書斎がある。土蔵には唐本が一ぱい這入っていて、書生が一抱ずつ抱えては出入《だしいれ》をする。先生は年が四十二三でもあろうか。三十位の奥さんにお嬢さんの可哀いのが二三人あって、母屋《おもや》に住んでおられる。先生は渡廊下で続いている書斎におられる。お役は編修官。月給は百円。手車で出勤せられる。僕のお父
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