たのである。
 或る記憶に残っている事柄が、直接にそれを証明するように思う。僕はこの頃悪い事を覚えた。これは甚だ書きにくい事だが、これを書かないようでは、こんな物を書く甲斐がないから書く。西洋の寄宿舎には、青年の生徒にこれをさせない用心に、両手を被布団《きぶとん》の上に出して寝ろという規則があって、舎監が夜見廻るとき、その手に気を附けることになっている。どうしてそんな事を覚えたということは、はっきりとは分からない。あらゆる穢いことを好んで口にする鰐口が、いつもその話をしていたのは事実である。その外、少年の顔を見る度に、それをするかと云い、小娘の顔を見る度に、或る体の部分に毛が生えたかと云うことを決して忘れない人は沢山ある。それが教育というものを受けた事のない卑賤な男なら是非が無い。紳士らしい顔をしている男にそういう男が沢山ある。寄宿舎にいる年長者にもそういう男が多かった。それが僕のような少年を揶揄《からか》う常套語《じょうとうご》であったのだ。僕はそれを試みた。しかし人に聞いたように愉快でない。そして跡で非道く頭痛がする。強《し》いてかの可笑しな画なんぞを想像して、反復して見た。今度は
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