ものを着ているのであった。
 こう思うと共に、僕はその事が、いかにも自分には縁遠いように感じた。そして不思議にも、人情本なんぞを読んで空想に耽《ふけ》ったときのように、それが苦痛を感じさせなかった。僕はこの事実に出くわして、却《かえ》ってそれを当然の事のように思った。
 埴生は間もなく勘定をして料理屋を出た。察するに、埴生は女の手を握った為めに祝宴を設けて、僕に馳走をしたのであったろう。
 僕はその頃の事を思って見ると不思議だ。何故かというに、人情本を見た時や、埴生がお酌と手を引いて歩いた話をした時浮んだ美しい想像は、無論恋愛の萌芽《ほうが》であろうと思うのだが、それがどうも性欲その物と密接に関聯《かんれん》していなかったのだ。性欲と云っては、この場合には適切でないかも知れない。この恋愛の萌芽と Copulationstrieb とは、どうも別々になっていたようなのである。
 人情本を見れば、接吻が、西洋のなんぞとまるで違った性質の接吻が叙してある。僕だって、恋愛と性欲とが関係していることを、悟性の上から解せないことはない。しかし恋愛が懐かしく思われる割合には、性欲の方面は発動しなかっ
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