」と一人の女中が云って、僕等を見て、今一人の女中と目引き袖引き笑っている。僕は間《ま》が悪くて引き返したくなったが、埴生がずんずん這入るので、しかたなしに附いて這入った。
 埴生は料理を誂《あつら》える。酒を誂える。君は酒が飲めるかというと、飲まなくても誂えるものだという。女中は物を運んで来る度に、暫く笑いながら立って見ている。僕は堅くなって、口取か何かを食っていると、埴生がこんな話をし出した。
「昨日は実に愉快だったよ」
「何だ」
「おじの年賀に呼ばれて行ったのだ。そうすると、芸者やお酌が大勢来ていて、まだ外のお客が集まらないので、遊んでいた。そのうちのお酌が一人、僕に一しょに行って庭を見せてくれろと云うだろう。僕はそいつを連れて庭へ行った。池の縁《ふち》を廻って築山《つきやま》の処へ行くと、黙って僕の手を握るのだ。それから手を引いて歩いた。愉快だったよ」
「そうか」
 僕は一語を讃することを得ない。そして僕の頭には例の夢のような美しい想像が浮んだ。なる程埴生なら、綺麗なお酌と手を引いて歩いても、好く似合うだろうと思った。埴生は美少年であるばかりではない。着物なぞも相応にさっぱりした
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