いた。
 その中盲汁の仲間が段々帰って来る。炭に石油を打《ぶ》っ掛けて火をおこす。食堂へ鍋を取りに行く。醤油を盗みに行く。買って来た鰹節《かつおぶし》を掻く。汁が煮え立つ。てんでに買って来たものを出して、鍋に入れる。一品鍋に這入《はい》る毎に笑声が起る。もう煮えたという。まだ煮えないという。鍋の中では箸の白兵戦が始まる。酒はその頃|唐物店《とうものみせ》に売っていた gin というのである。黒い瓶《びん》の肩の怒ったのに這入っている焼酎《しょうちゅう》である。直段《ねだん》が安いそうであったから、定めて下等な酒であったろう。
 皆が折々僕の方を見る。僕は澄まして、机の下から最中を一つずつ出して食っていた。
 Gin が利いて来る。血が頭へ上る。話が下《しも》へ下《さが》って来る。盲汁の仲間には硬派もいれば軟派もいる。軟派の宮裏《みやうら》が硬派の逸見《へんみ》にこう云った。
「どうだい。逸見なんざあ、雪隠《せっちん》へ這入って下の方を覗いたら、僕なんぞが、裾の間から緋縮緬《ひぢりめん》のちらつくのを見たときのような心持がするだろうなあ」
 逸見が怒るかと思うと大違で、真面目に返事をする
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